※空白再確認 半角ずれ
昭和37年07月16日 夜の御理解
二、三人の方と一年祭がここにありましたですね。御理解集が出てます。もう御理解集がもうないのですどこにも。新しい人なんかは全然その持ってないです。それで誰か持ってないかと言う事で、皆さんみんなが御理解集があったら、もう是非わけてほしいと言う様な人が、いくらもあるんでけれどもね。私丁度だから皆さんが、以前おかげを受けておられてから、御理解集を求めておられた方たちが、そのくらい大事にしてたら、そのう守っておられるだろうか。
日々のまたは何かの、信心のま参考書としてですね。あれをおかげを頂いておられるだろうかと思うんですけどね。百冊しか出てなかったですねあの時は。ここにももう一冊しかない。でその一冊のを今日は繁雄さんに貸しとられるから。こういう古い御理解なんかをちょっと見させて頂いて、ほう十何年前にこういう、私は書かせて頂いたことが、私自身の血にも肉にもなっていないと思う様な事が、沢山あるんですね。
十何年間のあの御理解が、ほんとに血になり肉になっとたら素晴らしい事だったと私は思うですけどねえ。その中に私の手控えの中に、これもちよっと読ませて頂いたんですけれども、こう言う様な御理解があるんですね。それは私自身の事を言っているんです。「伝統を継承しなかったとしても、私の信心は実証的であった。自身の感情過多」、ね、そのう感情が多過ぎると言う事ね。
「感情過多に苦しみ、神さまのおかげでその感情を超越して、自然そのものと一つになる事を、その修行の根本としてきた。この修行が成就された時、全ての人に合点してもらえる時である事を信じている」というのです。それで今日私がしもさんと永瀬さんに、聞いて頂いたんですけど。私の信心はもういつの場合でも、どんな場合でもですね、もうどんなにか、実証的であると言う事です。しかも天地が実証してござると言う事です。ね。それを私は信心の根本としてきておると言う事です。
ですからこの修行が成就した時ですよね、まだ僅かに半ばなんです。全ての人に合点して貰える時である事を私は信じる。そこで私の教師資格の問題でもね、本当に皆んなから合点して貰えるという例えばそんなら、あした親先生の好きな所に椛目の、おも立った方達と一緒に柴田さんがおいでて下さいと。で今日ここから帰りがけに にいた所に所が僕も明日その、善導寺の小学校で婦人部会かなんかの方に講演を頼まれとると。だから明日おやじもおるから、私が一緒に行ってあげようって人から言われたからと。
もうそれがいわば今までは合点しておられなかった方たちが合点してです、しかも椛目の為に例えば親教会にそのお願いにでも、行ってやろうと言う所まで、もうなっておるわけです。ね。段々私の信心に十何年前に言うておった事が今、成就されるされかかっとるじゃないかとこう思うわけです、ね。私がこの頃どう言う様な事を、私言うておるかというと、例えばここで私の神様は「みすを奉れみすを奉れ」とこう仰ってある。
それは私がまあだここへ、こうしておかげを頂く以前、それ以前のまだ私がここでそのこういう人にお話をするとか、人が助かるとかという以前の、ね、私はさっぱり信心をさせて頂いているのにも拘らず、借金はいっぱい持っておる。商売はあるやらないやら分からない状態である。どっこから見ても信心すれ、信心すればどうしてあげん貧乏せんならんだろうかと言う様な時代。
神様私に「みすを奉れみすを奉れ」とこう仰る。それはお前がそういうふうにね、例えばお道の信心をさせて頂いて何時までえぇも貧乏しておるとね、お道を穢す事になるんだと。その事についてはお前の事を思うてくれれる人達が皆んな心配をするさすのです。お道を穢すそして皆んなに心配をさせる、そしてひとたび自分自身の心まで汚すのです。だからこの三つの「す」を「三す」を奉らなければならんと言う事です。ね。
まあそれをひとつとして現在、私が三つとも奉っているわけではないですけれども、まあ一つの御簾を奉ったというでしょうかね、それこそ一年祭ちょっと前ぐらいだったでしょうか。あたしの借金払いが全部すみましたね。これは私が( )ようになって一年足らずでしたですよ、もうそれこそ私が十年掛ったっちゃ難しかろと言う様な借金がすんだんです。ね。もうそれこそ瞬く間でした。その借金払いがすんだ時でしたか、御簾をお供えしたいと言う人が現れたのは。
実証的でしょうが。私が例えば仮にもです、ささやかな御簾を奉らせて頂いたら、例えば借金払いという三すを奉らせて頂いたら、神さまは実際の上にこのここに掛かってる、この御簾は十年前にお供え頂いたものなんです。実にこれがね天衣無縫であるというおかげであると言う事を、私は思うんですけれどもね。これこれよりかもうちょっと低かったです以前のご神前は。
これは三度目ですかねご神前が変わりましたのは。ここからここここまででしたですね。それからこれになった。三段になったのはこのここがこう出来てからです。そん時には、大工さんの方が間違いましてですね、この御簾をなり( )です。だからもうほんとに天衣、そう言う様な場合に、私は天衣無縫という言葉を使うと思うんです。御簾を奉る。これはもう一事が万事がそうでした。
私は以前はもう軍服昔の軍隊の軍服着、夏は浴衣がけのままでまあお取次というわけでもないけれどもその、お取次のまねごとさせて頂いておった。まあみんなお願いに来られる、私は信心の話をする、まっ言わばお取次です。神様は私のおる所が御結界であり、私が話しかけるその事が、お取次だと仰っておられた。もう私が寝床ん中なら寝床ん中が、御結界だと神さまはそういうふうに仰っておられた。
段々、段々神様、まあいわば私の上に、厳しくでられるようになったんですね。それで私にほんと例えば皆が先生、先生とこう言われる様になると、その先生の様な気持ちでおらなければならん。先生と皆が言い出したから、紋付きを着て袴をはかじゃごて、というて私がはいたのじゃないです。この足袋一つに至るまでがそげんでした。それをね。神様が仰って下さる様になると、先生が言うわけでもなぁんでもないのに、例えばこの御結界のこの机がですね。
この机なんか上滝さんが亡くなりました時に、香典返しにお礼に頂いたんです。ね。この御簾は石井清子さんが御本部参拝の時にですね、この机が来たからというてですね、そのこれはおかげ頂かれたんです。勿論こういう小道具に至るまでは、秋永の爺っちゃまがまだ、ここによる時分でしたから。もうこのこういうお初穂箱から、御神米入れまでそうでしたですね。ある時ある御理解を頂いた時に、お初穂というのはここにはなかったです。そしたらもうここは、お初穂袋も一番始めは御信者さんがしよりました。
そしてお初穂を奉るそれを知らずにお初穂袋を沢山お供えされました。それからここのお初穂の始まりなんです。もうひとっつもその人智と言う様なものが入ってないんですね。所謂それを私は実証的だとこう思うとります。この位に間違いのない働きの中に私どもは日々、今日までおかげを頂いてきたと言う事なんです。例えば最近のまちょっとした、例を申しますとですね。
昨日私朝御祈念が終わってから下がりました。大体はもう下がらない。ここにはもう座り抜かして頂くと言う事が、私のこれはもう精神なんです。だからははあ先生がちょっと控え所にいかっしゃるばいの、と言うごとあるけどもそうではなかったですね。私がちょっとあちらに下がっていかなければならない事が起こったんです。ね。まあその内容は、その何時もの事ですけどもね、私が下がっとりましたおかげで、ここで助かられる人ができたんです。ほんとにそうです。例えばね私はそう言う様な例えば。
なら神さまの一分一厘ひとつの、この働きとこういう実証的な働きの中にあると言う事を、もう実に厳しい神様の働きの中に私はおかげ頂いておると言う事なんです。ね。だから私が間違うてくれば、この実証的なものは崩れてしまうのです。こうまでも間違いのない中に、こういうふうに間違うて来ると言う事は可笑しいぞ、と私が感じた事が、一回御座います。
私が神さまにお願いをさせて頂いて、朝の御祈念に私は一分間でも、ここのご神前を切らす、かげるような、ことがあってはならんと私は思います。ですからほんとに私を取次者として、神さまあなたがおかげを下さるなら、どうぞ五時にはどうでもどんなことがあっても、間に合いますようにお繰り合わせ下さいと言うて、私はお願いしておった。それを神さまが約束して下さらなかった、と私は解釈したんです。ね。ある時に十五分ばっかり、ここを切りました。
皆さんもご承知だったと思います。私は善導寺の教会にここ五年間の間にですね二回、私はこのお広前をたたむと言うてから、親先生にお届けに行った事が御座います。もうね、私が自分でこう言う事をしたい、私がこういう御用、お役に立ちたい、いや私がですね、お道の教師になりたいと言う様なもの、その自分人情では全然ないです。ある意味し烈なんですこれは。これはどういう時だったかというとその時でした。神さま私を起こしなさらなかった。
五時に間に合うように起こしなさらなかった。と言う事はもう私をお使いにならんと言う事だからとこう思うた。ね。ですから私はもうその日は、だから御祈念も程々で、御結界にも座らずにそのまま私は善導寺に参りました。そして私が親先生に私は今日はこんなわけでお参りしました。それでお取次のまねごとをさして頂いて、椛目のお広前の状態を、一遍神さまにお返ししますのでございます。私を神様が使わんと仰る、その積りだと私は、その言いました。
ですからどうぞよろしくお願いします、と言うて私がお取次を願うた。したらねそげんあんた思い詰めて言わんで、そげんよかがのちから仰って下さった。そしたらほったら久富先生が、それこそこの前をタンスん中からお神酒を一本買うてですね、その親先生にお願いに行かれたと言う事を聞きました。たったその事を立川さんから聞いた。立川さんがお願いに来ました、ね。親先生そんな事をお願いに行っておられるそうですから、どうぞそれは取り下げて下さい。
どうぞやっぱり私どもの親先生、取次者としてからおかげ頂かれますように、と言うてお願いに行かれたと言う事です。勿論私が頂くだけでも、親先生はそれを受け付けにはなりませんでした。「そげんあんたそげん思い詰めんでもよいじゃないの」と。私は実はそういう性格なんです。それをねいかに神様と私の間に、もう厳密な一つの約束事のままに、この実証的でなからなければならんからそうしたのです。ね。
そして家内は、聞かして頂いた話ですけども、あのこの障子を開ける時に御神飯をお供えする時にですね、もう手がガタガタと震えてから障子が開けられなかったと家内が言うとります。私にしても家内にしても、例えば神様に対する朝のその事だけはそのくらいに真剣に取り組んでおると言う事なんです。ね、ガタガタ震えてから障子が開けられなかったと。それを私が実証的であるという印をですたい、反対にですねこれは実証的でないと思うたんです。
私がここの広前をたたむと言うて言った事が二回ございます。もう一回は私教会問題の時にですね教会の問題の時に、私御本部へ愈々もう来年当りから行ってもよいという時にです。教務所の方から福岡の県庁の方へ調べにおいでられた。神愛会を解散しとると言う事を確かめねばならん。所がその解散をしてあったはずなんです。所が秋永先生の手を経たためにそれが出来ていなかったんです。それは勿論話を聞くとそれはもうしてもせんでも同じ事ぞと、言うちゃ何とかの片側の人が言われたそうですからね。
それは教会になられてからでもいいですよ、と。でないともうとても手続きが大変遅いから、もうそのままがいいですよと、わざわざ行ったけれどもそれを受けて帰ってきよった。所が解散がしてなかったというので善導寺の親先生が呼びつけられなさったんです。小倉から。そして親先生が進退願いまで出さねばならないと、言う様な所までなったんです。あの時善導寺の教会長として、やめなければならない様なその愈々の時には、進退願いを出すと言うて。
親先生は言うて私と一緒に同道でお断りに参りましたので御座います。ですから私はそん時にですね、親先生にこげな心配をかけては相済まんから、親先生私はもう椛目はこれっきりもう私はやめます、と言うてからお届けに参りました。そしたらその時も親先生もその心配頂いておる、少し私に対するオーバーだったじゃろうと思うんです「そげん言わんでもよかたい。向こうの方が解決すればよかもんじゃなかけんでって」とその時もそういうふうに仰って下さったね。
私はね親先生に随分ご心配をかけたと思うけどもね、私のご心配は今に分かって頂く、今に分かって頂くというご心配なのです。私の心配は私をそれを信じきっとるです。ただ親先生がそれをご存じないから、ただご心配なっとるだけの事ですよね。所がです私を原因でですね、親先生がその進退伺いを出さねばならないと言う様な事になると言う事はこれはもう別です。どういう例え難儀をかけると言う事は私は親先生に対して申し訳ないと、椛目のお広前をたたんでしまおうと言うて。
私はいつも実際ちょっとその意味合いは違いますけれども、私たちが五年前だん二回親教会に私がここをたたむと言うてから、これは誰彼に相談する事でもなあもないね。これは私のこれはもう信心にある事なんですから。いくら役員総代が言うても、これはいやもう私は、ばのと言やあもうそれで良い事なんです。それとてもなら私が申しますように、実証的でなからなければならんと思うからです。これは是から私は恐らく生涯この生き方というものを崩さない事であろうとこう思うです。
これが言わば垢抜けて参りますればまいりますほどです。おかげ頂くなあと。私は今日ほほう、そんな事もあるんだなあと、私は今日思うたことは、永瀬さんと福島さんのお届けがここで御座いました。有難い事ですねもう例えば明日ここをおいでられると言う事をですね、その例えば心準備とか内容とかについて、永瀬さんが御神夢それから福島さんが御心眼。さらにもう内容を言うならほんとにこりゃ条件におよばんと言うて( )なければまるきり出てこんと言う様な、御理解を頂いております。ね。
いかに神さまのお二人に対するご期待が大きいか、また自分たちが意欲的であんなさるかということが分かります。その事をお礼申して参りよりましたらね、今鯨神という映画がでけとるでしょ。鯨の上に人間がこうやって立っておる、こうやってしておる所があるでしょうね。あれに二人が乗っておる所を頂くんです鯨の上に。大きな海には鯨の済む大きな信心をさせて頂いて、大海のような信心を。
それが竹の筒に水がたまったような信心、だからボウフラくらいぐらいなおかげしか頂かれないんだと。もう家庭の女のことまでぐだぐだ言うような男がおるが、おなごがおりますよ。はぁ子供でもいやごというたら、てんで親の感情を出してから、さあお灸をすえて というのがおりますよ。これなんかもう心がね、竹の筒のような、水がたまっとるような、心なのですから、そげなとがおかげ頂けるはずがありません。
大きなおかげを。だから豊かなおかげが欲しいなら豊かぁな心をださないけんねと。たとえば男であるなら、女子供の言うことなんか問題ではないというぐらいに。さあどうしょうか。こまかこまかことを言うとるぐらいなぐらいの大きな豊かな心を出さにゃいけん。その豊かな心を、大海のような心を持たせて頂くからです、鯨が住むようなおかげになろうがと。さあところがです。
その先にまいっちょあるということに今日私あたりは、ね、豊かな心にならして頂くということ、元気な心で( )を自分のものにしていくいわゆる勇猛心が必要であるということなんですね。たとえばこのふくしまさんやら、永瀬さんあたりの場合なんか、自分のことをなげうってからの、この御用に没頭しておられるのですからね。福島さんは、永瀬さんは、( )またここにお礼に出て来られました。ね。
没頭しておられるということが分かるでしょうが。自分のことなら没頭するけれども、これがもう自分以外のもののためにですね、( )いわば教会がほんとのおかげの御比礼のために、それに没頭するというようなことがいかに神さまがお喜びくださるかというようなことも、まあその話しましたら窺われますですね。私は今日、私の信心は、( )実証的であるということの意味はですね。
ただ私みなさんに申しおりますということ。( )あたることもあたらんこともあると、のようないうものではなく、もう本当にあたるあたらんとか、仰ったとおりしたばってん儲けじゃったとか、こまいことを言わずにです、もう任せるというたら任せきっていったら必ず実証的になってくるです。久富繁雄さん今年はおりおり二反の畑に。全部れたす7を作れと親先生が仰ったばってん。
家族の者が、そげん二反も作ってどうすんの、と言うもんで、ちいとばかりしたと。今年はもう二反も作っているなら大したことじゃったと。これはもう、いわゆる任せきらなければいけない。必ず実証的になる。実証的なおかげを頂くところまで皆さんがね、私を、信心を追究しておいである信心を進めておいでなければならないと思うのです。